2件目の物件内見
前の物件がだめになり、ぼーっとしてしまった1日があったけれど、立ち止まっている時間は人生においてないので、新たに探し始めた。
家賃と広さのバランスを考えると、出店したいと思っている自由が丘、大岡山、旗の台はとても厳しい。小さいお店ばかりだし、なんせ飲食OKのお店がとても少ないのである。
それでも意地で探してなかなかよさげなところがあったので内見に行ってきた。
ほぼほぼ窓ガラスなのでとても明るく、感じがよい。
私がお世話になっているIさんも、ここは感じがいい!と言っていた。
駅からも近く、商店街の中である。
ここの街は私もゆかりがあり、土地勘もある。なんとか決まってほしい。
不動産屋さんも対応がいい方と巡り合えた。
家賃が高いので少し心配だけど、どうかここできまりますように!
塞翁が馬
ブログを書く習慣がないため、日にちが空いてしまいました。
週に何回かは書いて、この先お店を始める人のためにも継続していきます。
この20日間で色々なことがありました。
とある駅から徒歩10秒のところで3Fエレベーターなし。
しかし、スケルトンで広くて家賃が安いところがありました。
広かったので即決し、保証会社の審査も通り、通帳のコピーまで提出しましたが、
審査が下りた翌日に、大家さんから不動産会社宛に「貸さない」という旨を伝えられました。
内装業者の内見も2件きめており、いろいろな準備も進んでいる中でのこの返事にびっくり。理由は私の収入、保証人、保証会社の家賃保証が6カ月というのが心配だということでした。私の信頼できる不動産会社が、それならばと48カ月保証の会社にしますと返事を返してくれたものの、大家さんが首をたてにふることはありませんでした。
がっかり。モチベーションも下がります。
その時、いつもお世話になっている方からこのような言葉を頂戴しました。
「塞翁が馬」です。
意味を知らなかったので辞書でひいてみると、このような記載があります。
国境の近くにあった塞(とりで)の近くに住んでいた翁(老人)は、何よりも自分の馬をかわいがっていた。その馬は、周りからも評判が立つほどの駿馬だったが、ある日突然、蜂に刺された拍子に飛び出してしまう。一向に帰ってこない馬の様子に、周りからは翁に同情するほどだったが、翁は「これがきっかけで何かいいことが起こるかも知れない」とだけ言って、我慢強く待ち続けた。すると、どうだろうか。しばらくして、その馬が別の白い馬を連れ帰ってきたのだ。しかも、その白馬も負けず劣らずの優駿で、周りの者は口々に何と幸運なことかと囃し立てたが、翁は「これがきっかけで、別の悪いことが起こるかもしれない」と自分を戒め、決して喜ばなかった。
それから、かわいがっていた息子がその白馬から落ちて、片足を挫いてしまった。周りはまた同じように慰めの言葉を掛けたが、翁はまた同様に「いいことの前兆かも知れない」と告げる。それからしばらくして、隣国との戦争が勃発した。若い男は皆、戦争に駆り出されて戦死した。しかし息子は怪我していたため、徴兵されず命拾いした。そして、戦争も終わり、翁は息子たちと一緒に末永く幸せに暮らしたという[11] 。
このことから、人間、良いこともあれば悪いこともあるというたとえとなり、だから、あまり不幸にくよくよするな、とか幸せに浮かれるなという教訓として生かされる言葉になり、人間万事塞翁が馬などと使われる。
なるほどと思いました。
こういう言葉は知りませんでしたが、私は、このように考えています。
「今の自分にとって”不都合”なだけで、将来の私から見たらそれが”必要だった”と思えることがほとんどだ」
私は高校を中退しています。もしあのまま通っていたら、、、と思わなくもないのですが、それで結果大検を取得し、学歴なんて関係なく、社会ではちゃんと働く人が評価されるのだということを学ぶことができました。
なので、今回の物件に落ちてしまったことはよかったと思います。
後日談ですが、内装を見に行く予定だった内装業者さんはその物件に行ったことがあるらしく、あそこは排水が悪いから1000万くらいかかるよ。と言われました。
あぁ、よかった。
これからもめげずに物件を探します。必ず私にあったところが見つかるはず!
木育サミット(ふれあい囲碁)
2/23(木)はティアラこうとうで開催されていた木育サミットに参加してきた。
これは、前の会社の時のお得意様から誘われたイベント。誘ってくれた方は残念ながら転勤になってしまい一緒にこれなかったけれど、私にとって非常に実のある一日となった。
プログラムのなかに「ふれあい囲碁」というものがあった。
これはプロ棋士の安田泰敏先生が提唱しているもので、囲碁を通じて、人と人とがコミュニケーションをとれるようにという想いが込められている。
イベント会場にいくと、私がかねてからつくりたいと思っていた木製の碁盤と碁石が。しかも格子状の碁盤。これは素敵!
そして、先生の講義がスタート。
まずとなりの人と、石取り碁をやる。
次にその人とペアになって、ほかのペアの人と石取り碁をやる。
今後はその4人でまたべつの4人チームと石取り碁を行う。
その後、さいごの4人のチーム内で話をする。一人2分間のスピーチでテーマは「自分の夢」
そのチームのなかで一番いいなぁと思った人に投票をする。
投票された人がそのチームのチャンピオンだ。私もチャンピオンに選ばれた。
時間の関係でその中のうち2人が夢について全員の前でかたった。
その人と同じチームの残り3人は、その人の夢がかなうように、どうやって応援するか、自分ができることは何かを話す。
今回の優勝者は北海道の大工さん(頭はアフロで和服!)で、彼は牛舎を買いとり現在木工場を制作しているとのこと。親と子供が会社や学校の前、また休日にそこに来て、一緒になにかを作れるような場所をつくりたいとのこと。素晴らしい夢でした。
イベントの結びとして、先生は、囲碁を打ってコミュニケーションをとってから夢の話をしたので打ち解けることができたといってきた。囲碁は年齢、性別、職業を超えて、そういうことができる素晴らしいツールなのだとも。
また、自分は誰かの応援団になれるのだということもおっしゃっていた。
これは大好きな喜多川泰さんという作家さんの最新作「秘密結社Ladybirdと僕の6日間」にも書いてあったこと。
自分ができることを全力でやる。
そういう人たちが集まったら、一人で持ち上げられないものも軽く持ち上げることがえきるかもしれない。
私は今後生き残っていける囲碁を打てる場所をつくり、かつ、Tranceのアーティストとしての活動も全力で行い、誰かの夢をサポートできるように頑張る。
写真の奥側に移っている碁盤は、手作業で作られたものだ。
やはり木は温かみがあっていい。
体のこと
私は2013年にリウマチにかかりました。
リウマチって年配の女性がかかるのでは?とよく言われるけれど、今は30代の女性も珍しくはない。
私はあるとき突然発症した。
原因不明だが、おそらく職場のストレスだと思っているし、自分の性格的な問題でそうなったとおも思っている。
色んな職場で、なにか嫌なことが起きたら、それは自分の努力不足だと思いなさいと言われてきた。そういう刷り込みみたいなものがあり、私は自分を責めて、自分に自信がない人になった。
今は必ずしも自分に全て原因があるなんていうことはない。
ということが、ようやくわかるようになった。
でも当時は、理不尽な上司の下についてしまい、いつ怒られるのか、すべてのミスは自分のせいだと責めるていた。
リウマチは自己免疫疾患といって、体の免疫が体にあるいいものを悪いものだとご認識して攻撃してしまう。いいものは関節の間にある滑膜というクッションのようなものなので、これがなくなっていくと、骨と骨がぶつかり変形していく。
私は最初はただの関節痛かと思い、半年ほど間違った薬を飲んでいた。
もちろん痛くなった時点でリウマチの検査は行った。しかし、その時リウマチ因子は結果に出ていなかった。
半年後、歩くのも難しくなってきた。寝ていても痛くて起きる。
それでも満員電車に乗って通勤していた。
でもリウマチとわかって、専門医のところへ行ったら、仕事はやめなさいと言われた。
とても会社に行けるような体ではなくなってしまったからだ。夜も痛くて眠れず、またほぼ寝たきりとなってしまった。お風呂に入るものの、自分の体を支える力が手首やひじの関節に負担となり、激痛が走って出られないという状態であった。
その時は母がサポートしてくれた。あの時の感謝の気持ちはいまでも忘れないし、私も身近な人が病気になったら、それくらいのサポートはしたいと思う。
今は10週に一度、生物学的製剤という点滴を打っている。
病の信仰を遅らせ、痛みをとるものである。でもなにも根本的な治療になっていない。
実は冬になり、かなり関節が腫れてしまった。
いまは暫定店舗なので、営業のつどテーブルや碁盤を出さなければならないが、これがかなりの負担である。でもそれを知っているお客さんは手伝ってくれる。世の中はあたたかい。
リウマチは不治の病とされているので、一生付き合っていかなければならないかもしれない。人の数ほど原因があり、人の数ほど治し方がある。
私は私に合った方法で、寛解ではなく、完治を目指す。
ここにもこれからその記録をしていく。
■
自分は引きが強く、運がある。
私はそういう自負がある。
見えない力を信じているからこそ、毎日その瞬間瞬間に自分がその「場」にいるように心がけるようになった。これは私の好きなひすいこたろうさんのセミナーに参加してから、なるほどと思って実践している。
今日はさっそくその結果が。。
今日は以前から伺いたかった浅草橋にこの2月にオープンしたippoという囲碁サロンにお邪魔した。
しかし、タイミング悪く「休憩中」という札がかけており、あいにく入れなかった。
そこで、少しカフェでお茶でもしようかなと思って、少し探索して感じのいいカフェに入る。
オーダーを済ませ、ふと店員さんを見ると、、、
なんとお知り合いでした。数年あっておらず、しかもとても尊敬している大先輩。
まさかの展開についていけなかったけれど、先輩は気さくに話してくれた。
こんな大先輩とご縁があったことに感謝。
また、一度行った囲碁カフェの席亭さんが、休憩中でなければその先輩にはお会いできなかった。
人生とはつねにこういう物事の連続なんでしょうね。
「残念」「参った」「タイミングが悪い」こういうことは、その時の自分にとっては都合が悪いと感じているだけで、本当は起きた事実に良いも悪いもなく、また後々「実はよかった」なんてことになるようにできているのでしょう。
そういうのをわかっているから私はいばらの道を選んでしまうのかもしれない。
世界はすごくドラマティックにできているんだって知っているから。
物件探し
2016年12月をもって、51年続いた場所を離れて、ひとまず旗の台のレンタルスペースにて週に3日碁会を開けることになった。これでもご縁あってのこと。
しかし、お客様のためにも、自分のためにも、
桜の咲く頃には自分のお店をオープンしたいため、本格的に物件を探している。
昨日は1件見てきたけれど、建物の条件が厳しく断念。
今日は新たに1件見てきた。
街自体はかなり昔アルバイトをしていた街なのでそれなりに土地勘がある。
内見もしてきたが、広さは問題なし。あとは内装の問題。
どれだけ内装を入れられるか。
母の命日に見た店舗で決まったら、これも運命的だなと思いつつ、
それなりのまとまった金額を払うので、焦らず慎重にいこうと思う。